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近代の神楽2

目次

悠久の舞

近代の神楽について、前回は浦安の舞でしたが、今回は悠久の舞についてお話ししたいと存じます。


悠久の舞とは

ゆうきゅうの舞とは、皇紀二千六百年奉祝のために舞われる奉祝舞楽として、当時の宮内省楽部の楽長であった、多忠朝氏(おおのただとも)という方が作曲作舞したもので、当初は男舞でしたが、1964年に東京オリンピックに併せて、多忠朝氏の長女、多静子氏(おおのしずこ)により、改作された女舞の神楽でございます。

玉垣の舞

玉垣の舞

こちらも当時の宮内省楽部の楽長であった、多忠朝氏が、明治天皇陛下御製の

「我が国の為をつくせる人々を名をむさし野にとむる玉かき」

に作曲と振り付けをした、巫女舞の四人舞ということでございます。

靖國神社の御創立記念日祭の6月29日に奉納されるということでございます。

呉竹の舞と寿の舞

呉竹の舞

こちらの舞は、昭憲皇太后様の御歌に曲と振りをつけた女舞で、明治神宮で行われる、4月11日の昭憲皇太后祭と、5月5日の子供の日に奉納されるということでございます。


寿の舞

こちらも、昭憲皇太后様の御歌に曲と振りを付けた女舞で、明治神宮の結婚式の時に巫女一名が、一般的な千早で神楽鈴を持って舞います。


千早とは

ちはやとは、日本において古くから神事の際に用いられた衣装でございます。

みたま慰の舞と八乙女の舞

みたま慰の舞は、香淳皇后様が1937年に靖國神社祭神の鎮魂の為に詠んだ御歌

「やすらかに眠れとぞ思ふきみのため命ささげしますらをのとも」

に、当時の宮内省楽部の楽長だった、多忠朝氏が1951年に作曲作舞した巫女舞で、一人舞・二人舞・四人舞があり、曲と舞が異なっているということでございます。


八乙女の舞

1927年の昭和の御大礼の際に、主基斎田に定められた「八乙女の舞」「御田植の舞」に従って、明治天皇陛下の御製3首に、多忠朝氏が作曲作舞した巫女舞でございます。


主基斎田とは

すきさいでんとは、天皇陛下の即位式典の大嘗祭に新穀を栽培する田のことでございます。

靖國の舞

靖國の舞とは

やすくにのまいとは、奈良時代の公卿で歌人であった大伴家持が詠んだ、海行かばの和歌に、多忠朝氏が1942年に国風歌舞の手法で曲と振りをつけたものでございます。
男舞と女舞があり、舞う人数によって振りが変わるということでございます。